愛は最善を望む
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える
コリント人への第一の手紙 13:7
愛は「すべてを望む」。
何かの悪が、ある人に関係があると言われる場合、愛は、
それは無関係で、関連しているそのことは決してなされなかったと思うのである。
それがなされたことは確かなことであると言われる場合も、多分それは
今、言われている情況にあっては行われなかった、だから、
事実は認めるにしても、それは、言われるほどには
悪くはないのだと思う余地を残すのである。
その行為は、明らかに
まぎれもなく悪いものであると言われる場合にも、愛は
そのようにするつもりはなかったのであろうと思う。
その意図もまた、悪かったことがはっきりしているという場合にも、
それは、沈着な心からではなく、人をせきたてて
われを忘れさせてしまうような突発的な激しい感情からか
また何か激しい誘惑から発したものではなかったかと思うのである。
そして、すべての行為
意図と気質がひとしく邪悪であったということが疑うことができない時でさえ
神は、ついには、御腕をあらわにしてくださって、
勝利を得てくださり
「罪人がひとりでも悔い改めるなら、
悔い改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる
大きいよろこびが、天にあるであろう」
という時があることを、
愛は望むのである。
祈り
私に対するあなたの疲れを知らない優しい愛が、
私の愛をして、
隣人に対し疲れを知らない優しいものとなるようにしてください。
また、
隣人のために祈り
彼の健康と安全、
安らぎと幸福とを取り計らい
促進するのに熱心なものにしてください。
私をして、
穏和で、和らぎ
快く赦し
喜んで、
善をもって悪に報いるものとしてください。
アァメン。
0コメント