シャーラフ
あなたの重荷を主にゆだねよ。
主は、
あなたのことを心配してくださる。
「ゆだねる」とは「転がす」ことです。
悟ることではありません。人が無心になるのは不可能です。
むしろ、七転八倒する中で、事態のコントロールをやめるところから
始まる言葉です。
この詩を作ったダビデという王は、同じ詩篇の中で、
「私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています」と、
ありったけの心情を吐露しています。
プライドをかなぐり捨てて神に叫ぶ様子は、悟るとはほど遠い状態です。
三千年以上も前に、一国を司る著名な王が泣きわめいていたかと思うと、
どんなに時代が進んでも人の悩みは変わらないものだと、ほっとします。
「ゆだねる」という原語は、旧約聖書が書かれたへブル語ではシャーラフ、
「放り投げる」という意味です。
岩のように大きな岩を、相手に向かって放り投げる様子を想像してみてください。
人生に重くのしかかる重荷を、そのつど、神に残らず渡してしまいなさい、と
聖書はすすめています。
人は慣れ親しんだものを手放すことが苦手です。たとえ悩みのような重荷であろうと。
悩みを反芻するうちに、それがアイデンティティーの一部となっていきます。
悩んだ労力や時間が無意味になるのを恐れ、捨て去るのが惜しい気持もどこかに
潜んでいます。
みな外見からはわからない、それぞれの重荷をもっているものです。
事の大小は問題ではありません。
握りしめているものを手放さなければ、新しいものはいただけません。
こんな時、体で表すことが案外役に立ちます。
私は目をつぶって、十字架を思い浮かべます。
ペンダントヘッドのように小さなものではなく、自分をすっぽり包む大きな十字架です。
そして、心のつかえとなっている重荷を思い起こしながら、
できるだけ具体的に言い立てて、イメージした十字架を目がけて放り投げます。
もしも切迫していれば、ダビデのように泣きわめくこともあります。
こうしてありのままの思いを神に話すことが、すなわち「祈り」です。
漬物石は野菜のいい味を引き出しますが、取り除かなければいつまでも食べられません。
人生の重荷を転がす時、苦しんだ経験はいい味となって意味をもち始めます。
まずはひとつから。
その重荷を手放して、転がしてみませんか。
新しいことが始まります。
こころのごはん - 日々をささえる聖書のことば30 宮 葉子 著
いのちのことば社 フォレストブックス 発行より
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