繁栄のために
わたしがあなたがたを引いて行った
その町の繁栄を求め、
そのために主に祈れ。
そこの繁栄は、
あなたがたの繁栄になるのだから。
あなたのまちが好きですか。
関心をもっていますか。
あなたのまちについて何を知っていますか。
フルネームで知っている人や、
家を行き来するような人はいますか。
私たちの人生と同様、まちにも特別な計画があるということを、聖書は
繰り返し語ります。
神は人を創造された時から、エデンの園という土地を、夫婦となった男女に与えました。
神とのたったひとつの約束を人が破ってしまうまで、
そこは祝福の地でした。
旧約聖書では、故郷を追われる人間の話が何度も出てきます。
そういう時は神を思い出すチャンスであり、また、
よその地へ移されることによって、人にとってまちとは何かを考えさせられる時でも
あります。
「わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、
そのために主に祈れ」と、エレミヤという祭司に神が言われた時、
イスラエルの人たちは故郷から引き離されて、異国の地に捕らわれていました。
神を忘れて欲望のまま生きてきた結果でした。
この捕囚時代が長期間になることを神は知っていました。
一時的な滞在に過ぎないと考えていた民に対して、そのまちに心を据えて暮らし、
その地を祝福するようにと命じます。
私たちはどのような地にあっても、まちを祝福し、その繁栄を祈るために置かれています。
実際には寝に帰るだけのまちだとしても、部外者意識は幸せをもたらしません。
まちを愛することは、つまるところ自分自身の祝福につながるのだと聖書は教えます。
目の前に倒れている人がいれば、助けるのは当然ですが、それでも、教会が行える最善は
まず祈ることだと思っています。
聖書を読めば、教会の誕生の歴史からして、まちと人々のために祈る「祝福屋さん」である
ことがわかります。
相手のために祈るという心は愛が動機です。
相手をもっとよく知ろうとする心だとも言えます。
愛するとは自分から近づいて行く行為です。
近づいてみると人にも出会えます。
そのように顔見知りになった場所や人をつないでいくうちに、
まちの輪郭や課題が見えてきました。
2012年、このまちのだれもが予想しなかった東京スカイツリーという高層建築が
建ちました。
賛否はあるでしょうが、ともかくこれまでにはない人の動きが起きています。
空き地には新しい建物が建ち、古い家屋は魅力を再発見する新住民によってリノベーションされ、新旧入り交じってまちづくりを楽しむ人が増えています。
それはまだ一部の人だけかもしれませんが、一人ずつがまちに近づき、親しくなり、
祝福を思って祈る時、まちには新しい命が流れ始めます。
だれもがまちの「祝福屋さん」になれるはずです。
こころのごはん - 日々をささえる聖書のことば 30 - 宮 葉子 著
いのちのことば社フォレストブックス 発行 より抜粋
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