最後の審判

 

そして、一度だけ死ぬここと、

死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように。

                ヘブル 9:27



最後の審判のとき、

私たちは、

ゆりかごから墓場まで、為して来たすべての行いについて

申し開きをしなくてはならない。


また、

私たちのすべての言葉、願望や気性、

心の中で考えたり意図したすべてのこと、

心やからだや富であれ、

私たちのいろいろなタラントをいかに用いたかについて

責任を問われなければならない。


地上の法廷では、有罪の者が、証拠不十分で罪を免れることもあるが、

天の法廷では、

証拠不十分ということはない。


そのとき、

あなたと極秘の罪を共謀したすべての者たちが、顔前に現われる。


そのようにあなた自身の良心は千の証人を兼ねるのである。


そのとき、

あなたの良心はもはや、

目隠しされたり、

沈黙させられはしない。


ありのままの真実を知り、

また、告げなければならない。


そして、

良心は千人の証人のようであるか。


そう。


しかし神は、

千の良心のような御方である。



 祈り


ああ、神よ。

この世を、悪用することなく、

正しく用いることを教えてください。

そしてまた、

いのちそのものよりも善きものである、

あなたのご愛の中での私たちの役割を失うことなく、

からだのために必要なものを受容することを

教えてください。


アァメン。



     ウェスレーの黙想と祈り  ドナルド・E・デマレー 編

                福音文書刊行会 発行より



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