将来と希望


わたしはあなたがたのために

立てている計画をよく知っているからだ。・・・・

それはわざわいではなくて、

平安を与える計画であり、

あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。



「将来と希望」ということばには、特別な力があると思います。


先が見えない場合こそ、人には希望が必要ではないでしょうか。

現実は失意の渦中、いえ、絶望かもしれません。


絶望と不安がワンセットのように、希望の相棒は平安です。

「平安」を辞書で引くと、ふだん通りの安らかな様子を意味しますが、

聖書では少し違います。

旧約聖書が書かれたへブル語で「平安」は「シャローム」。

「平和」と訳されることもあります。

それは生命力あふれる動的なことばです。

ひと雨ごとに植物が葉を広げ枝を伸ばし、ある朝蕾がふくらみ一斉に咲きそろう。

平安とは豊かな収穫を約束することばです。


聖書には、「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です」とあります。

では、最後まで残る信仰、希望、愛とは何でしょうか。


別の箇所では、「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させる

ものです」とあります。

となると、希望をもつ力、さらに希望の推進力に信仰が大役を果たすことがわかります。


人は服も靴も脱ぎ捨てて、一円も持たずに身ひとつで地上を去ります。

しかし、その先には行く場所が備えられており、自分を待っている相手がいる。


信仰、希望、愛は、いずれも目に見えないものです。

一人一人の心の中にあるからこそ、どれほど状況が悪くても、

外からは手出しができません。

心の中の私のお宝。

それが信仰、希望、愛。


『星の王子さま』でキツネが言ったことばを思い出します。


「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。

 かんじんなことは、目に見えないんだよ」。


希望を失っている人は、状況よりも、むしろ心の中がふさがっているために

立ち上がれないことが多いようです。


詰まった感情、否定的な思い、トゲのように刺さったことばが少しずつ

押し流され、新しい水脈に耳を傾けようと心が動く。

その時、物事を別の角度から見ることが始まります。

今苦しんでいることには意味があり、その先へ進むための内面の準備であると。


希望を取り戻すスタートラインに立った瞬間です。


「それはわざいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに

 将来と希望をあたえるものだ」。


この慰めが、幾度となく失望の危機から私を救い出してくれました。

また、二千年以上もの間、聖書のことばを知る世界中の人、あるいは国の危機をも

救ってきました。


「将来と希望」の約束を握りしめる人は、

人生の様々な状況に揺さぶられながらも、

やがて永遠の平安に出会うのだと思います。

 


こころのごはん - 日々をささえる聖書のことば30  宮 葉子著

         いのちのことば社フォレストブックス 発行 より抜粋

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