彼らは言う、

「わたしたちは舌をもって勝を得よう、

わたしたちのくちびるはわたしたちのものだ、だれがわたしたちの主人であるか」と。

                        詩篇 12:4



 神は私たちに語るという卓越したタラントを与えてくださった。

「あなたは、それをもってわたしが、あなたを讃えるため、

 舌をお与えくださった」と、いにしえの著者は言っている。


 舌は、神の栄光をたたえるという目的のために用いられるよう、すべての人の子らに

与えられたのである。

 

 だから、

「わたしたちの舌はわたしたちのものである」と考えたり言ったりすることほど忘恩で、

愚かしいことはない。


 私たちは自分自身を造ったのでもなく、

いと高き御方から独立している者でもないから、

そのようなことを言えるはずがない。


 いや、

「わたしたちをお造りになったのは主であり、

わたしたちがわたしたち自身を造ったのではない」。


 すなわち、結果として明らかに言えることは、

彼は今なお、ほかのすべての点においてと同様に、

この点でも私たちを支配しておられる主である、

と言うことである。


 だから主に対して責任をとらなくても良いような

私たちの舌の言葉というものは何一つないのである。



 祈り


 ああ、この自我を私から隠してください。

 こうして、もはや私ではなく、私の内にいます

キリストが生きてくださるように。


 私の卑しき情を、十字架につけてください。


 最悪の悪欲が一つも残りませんように。


 すべての事において、あなたのほか何をも見ず、

何をも望まず、

また求めないようにしてください。



 アァメン。


 

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