私たちのからだ
あなたがたは知らないのですか。
あなた方は神の住まいであり、
神の霊があなたがたの中に住んでおられることを。
コリントの人々への第一の手紙 3:16
神は、私たちに、私たちのからだと
(それらの精巧に造られた機械、実に「畏るべく奇しく造られた」)
そのすべての力と器官とをゆだねられた。
彼は私たちに感覚器官、
すなわち、視覚、聴覚と、その他の器官をゆだねてくださった。
しかし、これらのどれひとつとして、
私たちの意のままに使用するよう、私たち自身のものとして
与えられているものはない。
これらのどれひとつとして、
しばらくの間、
自分勝手に自由にそれを用いてよいという意味では
私たちに貸し与えられていないのである。
いや、私たちは、
それらの感覚器官が私たちと共にある限りは、
神が定められた方法だけによってそれらすべてを用いるべきであるという条件で
それらを受けているのである。
神に対して、私たちは、
手や足や、
私たちのからだのすべての部分をどのように用いるかの責任がある。
これらは、御父によって定められている時まで、
私たちにゆだねられている非常に多くのタラントなのである。
その時まで、私たちはこれらすべてを用いることができる。
しかし、それらの管理者としてであって、
持ち主としてではない。
すなわち、終わりまで、私たちは
「肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。
むしろ義の武器として神にささげる」
べきである。
祈り
私に賜ったすべての恵みのゆえに、
すなわち、あなたのみかたちに従って私をお造りくださったこと、
また、あなたの善き御摂理によって、私を、日々、保護してくださることのゆえに
へりくだって心からあなたに感謝いたします。
私はまた、この世におけるあなたのもろもろの祝福のゆえに、
また、私を守っていてくださること、
私の健康、力、食物、衣服、
そして、
そのほか私たちにくださった、人生のあらゆる慰安と生活の必需品のために、
あなたに感謝いたします。
アァメン。
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